3日目

3日目です。神事が終わった時点で明るくなってましたけどね。

神事から帰ってすぐに温泉へダイブ。きもちえぇ〜。
普段シャワー人間の私。肩までお湯に浸かるのは実に5年ぶり。すごいね。

その後、朝には参加しなかったくろさぎとはねさんを叩き起こしに部屋へ…起きてた。チッ。
そして食堂へ行って朝ごはん。遅めに行ったのであんまり人はいなかった。
隣のくろさぎがジュースこぼしてトレイの上をオレンジの海にしてた。話題提供ぶりに嫉妬。

準備して出発。フロントのおっちゃん朝早く開けてくれてありがとう!フロントのお姉さんタイプだったよ!(ぅゎ










早速やってきたのはこちら。諏訪大社下社秋宮。
ホテルから歩いて1分という…ハイ、お分かりの方もいらっしゃるかと。
今回泊まったのはホテル山王閣。諏訪大社の領域、つまり神域に建っているホテルです。
帰ってきてから知ったのですが、諏訪大社と争ってるんですね…。まぁそれはおいときます。
主祭神は上社と同じ、建御名方神と八坂刀売神の二柱。







まず出迎えてくれるのが神楽殿。1トンもある大きな注連縄。
平日の朝だからか、散歩している方々がちらほら。





左右片拝殿です。幣拝殿と何が違うの…?
自分写真撮るの下手糞!斜めってる!






御宝殿。下社にも本殿はありません。御神体は御宝殿の奥にある御神木です。
御宝殿は二つあり、御柱祭の年に片方を建て替え、新しい方に神霊をお祀りしています。
昔は建て替えてから七年間風雨に曝し清めてからお祀りしたそうです。
もしかして風雨に負けずっていうスペルはこれが元ネタ…?

っていうか御神体である御神木があるのに祀るって…。











勿論次は、諏訪大社下社春宮。筒粥神事を行った場所ですね。
春宮を示す看板みたいなものがここだけ無かった。何故。
そしてこちらは更に人気が無い。焚き火をしているおじさん一人。前宮よりいない。
ってあの焚き火は神事の時から焚いてる気がw

神事中に焚き火に当たってたのですがコートに臭いがついちゃいました。






結びの杉です。上で二股、下で一つになっていることから縁結びの杉らしいです。
二股になるのって珍しいんですかね。原理が分からないのでなんとも。






こちらが筒粥殿。ね?入り口が狭いでしょ。
ここに人が押しかけるものだからなかなか撮れないわけですよ。






なんかいい味出てる囲炉裏だなぁ…。

「土間中央のいろりは江戸初期のものです。 byそこの立て札」

やっぱり。






さて、こちらが幣拝殿です。幣拝殿とは御幣を奉る幣殿と拝殿が一緒になったものです。
秋宮と同じですよね。同じですよね?

それはそのはず、実は春宮と秋宮は同じ設計図から造営されたのです。
同じ設計図を2人の宮大工に渡し、双方で技術を競われたそうです。
なので大きさや彫刻は違えど、造りは同じなのです。

でもなんで立て札に書かれてあった名前が違うんだろう…。

御宝殿は柵があって撮れませんでしたが、こちらも秋宮と同じです。




秋宮は温泉街にも近く、また街中にあるため整備もされていますが
春宮は少し山側にあり、周囲はほぼ住宅街になっています。駅からも若干遠い。
でも両社に店などが軒並ぶよりも、これが最善なのでしょうね。
秋宮だけに行って春宮に行かない観光客なんていないでしょうし。…と思いたい。










次に来たのは藤島神社。洩矢神社と対をなす神社ですね。
つまりここは建御名方神側の陣営があった場所です。
県道拡張工事の際に移転されたため、土台が新しいです。
確か本当は古墳の上にあったんですけど、県道工事で失われたとか…ひどい。土建国家ひどい。






なんか小さいし新しいし…えー。作り変えたのかな。






こちら御神木。藤の木です。木っていうか蔓。
はねさんが「えー!?」と抗議してました。

洩矢神との戦いの際、洩矢神は鉄の輪を用いて抗戦しましたが
建御名方神が藤の枝を掲げると、鉄の輪が一瞬で錆びてしまったそうです。そして洩矢神は降伏しました。
建御名方神が藤の蔓を地面に突き刺しますと、あっという間に根付いたそうです。
そしてその時の藤の枝がこの御神木です。




全体的にかなりみすぼらしい。元は違ったんでしょうかね。
場所は中央印刷さんの前に位置しています。駐車場はないのでご注意。











さあ次が最後になります、守屋神社です。直接東方には関係ありませんが。






その名の通り物部守屋をお祀りしています。






お昼近いけど全然とける気配なし。寒くはないんですけどね。






参道の途中にある灯篭。来た理由はこれ。






拝殿…っていうかこれはどうみても…。
後ろより続く階段を上ると本殿があります。…写真撮り忘れました。
すごいボロボロなんです、本殿。誰が管理しているのかという。
一升瓶がお供えされていたのでそれだけが救われました。多分登山家の方でしょうけど。

…今気付いたんですが。御柱がない。隣町だから?




洩矢神、守屋山、守矢家、守屋神社。これだけ「モリヤ」の文字があるのですから
物部守屋が関係してないとは考えにくいと思うんですけどね。それでも証拠がないという。
そもそも、建御名方神の中央神話におけるお話、つまり国譲りの神話。
そこで建御名方神が建御雷神に敗れて、諏訪へ逃げてきます。
この神話が蘇我氏と物部氏の争いを元にした話だとしたら。…そんな気がするんですけどね。

あー妄想は深まるばかり。すごい文献が見付からないかなー。











さあ諏訪巡礼も終わりに近づいてきました。上記の写真は杖突峠の休憩所展望台より。






コンビニでみすちーのダンスが発生。かわいい。
でも傷がつかないかハラハラ。






帰路の途中。最後に諏訪湖と八ヶ岳をば。
…絶対また来ようと思った。




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2008年1月13日〜15日巡礼