3日目
今朝も良い天気で放射冷却が元気です!寒いっ!
予定上では今日がラストですので気張っていきます。まず回りきることを目標に。
葛井神社
朝一番は葛井神社です。御祭神は槻井泉神とされています。
この写真、かなり下手糞な撮り方だと思うのですがどうでしょう。(何
神奈子様のスペル『神秘「葛井の清池」』の元ネタであるこの池が信仰対象として崇められており、
昔は社殿もなかったといわれています。社殿裏の池に面して、ちょっと出ている石垣部分がありますよね。
その部分は昔からあった石垣で、あとは比較的新しいものとなっています。
また、葛井の神池(清池)として諏訪七不思議にも数えられており、
大晦日、一年間上社の神事で使用された道具を池に投げ込みますと、遠州(静岡県)のさなぎ池に浮かび上がると言われ、
更にこの池に住む魚は全て片目であるそうです。…片目とはちょっと怖いですね、どういう意味があるのでしょう。
なお、由緒書きが新旧2つありましたが、大晦日の神事が行われる時間について若干記述が異なりました。
御神木です…と言っても既に枯れており、現在は人の手によって保存されている状態です。
枯れてもまだ威厳を感じる木ですね。
★駐車情報★
こちらには道路に面して駐車場が整備されていますので迷うことなく駐車できると思います。
空いていればですが…。
足長神社
…ああっ、大事な部分が隠れてしまっている!w
足ですよ足、足長神社で御座います!
高台にあるのでそれなりに登ります、疲れます、ひ弱です。
拝殿前には鳥居の原型とされる木と木に注連縄を結んだものがあります。
こちらの御祭神は足摩乳神です。
ピンとこない名前ですが、スサノオがヤマタノオロチを退治した神話にて、
ヤマタノオロチが食べてしまった娘の父神というとちょっと分かるのではないでしょうか。
★駐車情報★
足長神社前の道路、県道424を神社よりちょっと上った所に足長公園があります。ここに車を駐車して参拝しました。
ちなみに一番最初の写真は一本下の道ですので、行く場合は一度参道を下りなければなりません。
…で、公園にあったコレ。どこかでみたことあるようなコレ。
まぁそれだけなんですけど…w
あれ、あっちにも何かある…と近づいてみると…
ちょwwwwwwwwwおまwwwwうぇwwwww
なんなのこれ…フイたじゃねーかwwww
いやいや…別にあれと決まったわけじゃないですよ。○はきっとマルと読むんでしょう。
だって神話には下ネタ多いですし、神聖なものですから隠したりしません。隠すから卑猥なんです!
じゃあこれは何よって話になっちゃうんですが…何なんでしょうねw
阿吽が交差してる…カオスすぎでしょうこれw
個人で作った感が否めない…。考えててもしょうがないですし次に行きましょう!
ちなみにこの後に大祝屋敷へと向かいました。
藤島社
中央自動車道の脇にあります、藤島社です。自動車道建設の為移動したそうです。
諏訪大戦の地にある藤島神社とは別物ですのでご注意。名前の関連性は分かりませんが…。
写真向かって右側にある田は斎田で、そこで御田植神事が行われます。
昔は下社と同じ日に行っていたそうですが、現在では6月初旬に行われています。
ふむ…6月ならこれそうですし、一度来てみようかな…。
こちらにも藤島神社と同じく藤がありました。(藤…だよね?)
しかし比べるとなんとも可哀想なことになってます。
こちらは御神木という謂れもないでしょうから、きっといろいろな手入れができるのでしょう。
★駐車情報★
ここはそれほど交通量も多くないので路上駐車で問題ないと思います。
ですが藤島社前は交差点ですので、ほんのちょっと離れた田の入り口に停めると良いでしょう。
ここで本日の朝ごはん。コンビニで見かけて気になったので。
結論…甘い茶碗蒸し
後悔した。
八剣神社 手長神社 旧御射山 諏訪大社下社 御射山 御作田社 2008年10月27日〜29日巡礼
朝ごはんで気持ち悪くなりながらやってきました八剣神社。
主祭神は八千矛神です。だから八剣っていうのでしょうかね。八握剣かと最初思いましたが。
諏訪湖に御神渡りが出た際に、その出現確認、拝観式をこの神社が執り行います。
神符「神が歩かれた御神渡り」、御神渡りが最もな元ネタではありますが、この神社も関連地としては重要な位置にありますね。
強い風が吹き、境内の木からたくさん落ち葉が。秋めいていますねぇ…。
拝殿の後ろには大きさの違う本殿(宝殿?)、そしてその周りにはコンクリートの壁に有刺鉄線…。
一体何があってこうなったのでしょう…過去に泥棒でも入ったのかな。
ちっさ!なにこれ!
どうしちゃったのこれ…。
折れてる…(゚д゚;)
こっちも折れてる…。一体何が…。
小さく立っている御柱は、安全上ああなってるのかもしれませんね。この切り株も危険だから切ったと言う所でしょうか。
折れた御柱は分からずじまい。立て方に問題があったのかな?
結局、ここの普通の御柱は1本だけでしたね…。
★駐車情報★
神社の北北西に隣接して駐車場がありますが、「総代の許可なき者の駐車は禁止」とありました。
参拝者も駐車してはいけないというのはおかしいなと思う所ですが…分からない以上、利用するわけには参りません。
別の場所に駐車し、徒歩で来るのがよろしいでしょう。
上諏訪駅前に市営駐車場(有料)があります。駅から徒歩15分なのでそこに駐車するのがオススメです。
足長神社と対を成す…かどうかは分かりませんが手長神社です。
一の鳥居は諏訪市図書館分館と諏訪郵便局の間にあります。
これまた高台にあるので上ります。疲れます、ひ弱です。
イチョウと紅葉が映えていました。ちょっと光度高かったかな…。
こちらの御祭神は手摩乳神で、足長神社の御祭神、足摩乳神の妻になります。
この二柱の神を手長様、足長様と呼び、諏訪では祀られて来ました。
東北地方では妖怪とされているそうですが…別物でしょうね多分。
洩矢諏訪子のスペル『土着神「手長足長さま」』の元ネタです。
さてさて…ここの由緒書に気になることが記載されており、今も私を悩ませているのですが…。それは、
『諏訪大神の曾祖母様と言い伝える。』(一部抜粋)
という記述…。これを中央神話と照らし合わせてみましょう。
(なお、以下において神の御名をカタカナで表記し。内容は古事記に準拠しています。)
足長神社のところでも書きましたが、アシナヅチ、テナヅチはヤマタノオロチ退治で登場します。
スサノオはヤマタノオロチを退治し、その報酬として娘のクシナダヒメを妻に娶りました。
テナヅチをタケミナカタの曾祖母とするならば、クシナダヒメは祖母と考えられます。
タケミナカタの父は皆さんご存知のオオクニヌシ。オオクニヌシはスサノオの6代孫にあたります。
父のオオクニヌシから数えるとテナヅチを曾祖母と呼ぶことはできません。
しかしオオクニヌシとスサノオを1代で繋げる神がいます。それは…スセリビメです。
スセリビメはスサノオの娘にしてオオクニヌシの妻。
スセリビメの母は神話中に記載されていませんが、もし母をクシナダヒメとするならば…。
アシナヅチ-テナヅチ→スサノオ-クシナダヒメ→オオオクニヌシ-スセリビメ→タケミナカタ
テナヅチがタケミナカタの曾祖母になる系譜ができました!
でも再三記載してきたかと思いますが、タケミナカタの母はヌナカワヒメとされています。
こうなったらスセリビメ=ヌナカワヒメにしてしまえーとか思ったのですが流石に無理なお話。
オオクニヌシがヌナカワヒメに求婚に行く際に出てきますしねw
そもそもヌナカワヒメがタケミナカタの母であるというのは記紀に記載されているものではありません。
地方の伝承等を調べないと答えは出ないようです。
以上長々とつまらない妄想駄文失礼致しました〜。
拝殿です。一瞬下社の幣拝殿のようにも見えますが、奥に伸びているのは社務所に繋がる回廊です。
拝殿と回廊との間に神楽殿もあります。
そういう設備が整っている所を見ると、昔から格式が高かったことが伺えますね。
参拝し終わった後に社務所へ向かいました。お目当ては御朱印。
手長神社の宮司は足長、八剣神社の宮司もしており、更に今回児玉石神社で見た任命状。
一度に4つ御朱印を頂けるとしたら、いくら納めれば良いかなと困りつつもwktk。
しかし誰もいない社務所、入り口には「外出中」との札。
30分ほど境内で休んでみる…も戻る気配なし。
どこかにいないかなと探していると…社務所の納屋みたいなところで縄を編んでる方発見。
ちょっと若いけど宮司さんかな、と話しかけてみると…。
私「あの…スイマセン。」
男性(以下男)「なに?なんか用?」
私「(う、前衛姿勢な方だなぁ…)ぐ、宮司さんでいらっしゃいますか?」
男「宮司?宮司はいない、なんの用?」
私「御朱印頂けないかなぁと…。」
男「平日は無理っ、宮司さんいない。今日は長野に出張だで。」
私「そうですか…失礼しました。」
よく分からないけどいろいろと撃沈させられました(つд`)
平日に行った私が悪いんですが…残念でした。次回は休日に行きたいと思います。
★駐車情報★
手長神社の前に駐車場がある為そちらに駐車します。
2枚目の写真に2台の車が写っていますね、そこが駐車場です。
また隣に中学校があるのですが、その敷地内にも手長神社と接した所に参拝者用の駐車場があります。
気付きにくいのでご注意。(私は最初気付かなかったです)
駐車場が埋まっている可能性もあるので、駅前の市営駐車場に停め、
八剣神社と合わせて徒歩で参拝するのがオススメです。空いてなかったので私はそうしました。
すごく…感動です…。これぞ日本の原風景…。これが葦だったら見事に葦原ですねぇ。
というわけで八島湿原の袂にある旧御射山に向かいます。
しかし見事なすすき野です。夏にくるとまた違った風景なんでしょうねぇ。
車がないと来訪が大変ですが、また来たい所です。
どこまで続いてるんだろう…と無限に広がっているような錯覚に。
歩いていると左手にポツンと林が見えてきました。あそこが旧御射山のはず。
そこに向かって獣道があり、そこを通って行きます。獣道ですからね、変な靴じゃない限りは無問題。
と、その前に位置確認です。(↑をクリックすると1280サイズが表示されます)
前述の獣道を行かずに道を進むと、上のような案内板があります。
勿論、旧御射山からその案内板までも獣道がありますので、どちらを先に行くかって話です。
しかし…この案内板見てもどこに何があるのかよく分からなかったのですが…。
まず自分がどこにいるかくらい書いて欲しかったw
そもそもこの地図なんかおかしくないですか?なんで北に蓼科山が…?
西側にある「七嶋八嶋ト云」っていうのは八島湿原のことだよね…八島湿原は北にあるんだけど…。
…カイル石が気になってしょうがない!w
写真中央の小高い丘の斜面に浅鋪(浅敷)跡があります…がよく分かりませんね。
実際目で見ると分かったのですが…茶色一色というのも見にくい要因かな?
前置きが長くなりましたがこちらが旧御射山です。簡素ですね。
昔はもうちょっと立派な社殿があったのでしょう。周りに石が散らばってるのが気になります。
というより、結構大きめの石が転がってたりするんですよね。
どのようにこの場所が形成されたか分からないのですが、原っぱに大きい石があると特別に見えちゃいません?
スモモっぽいお供え物。しかもかなり新しい…最近誰かが来たんですねぇ。
旧御射山前から湧き出る水。先ほどの案内板の通りであれば、諏訪湖に注がれているみたいです。
★駐車情報★
八島湿原への入り口…だと思うんですけど、旧御射山へはそこから入ります。(他の行き方もあるかも)
途中から砂利道になり、舗装された道との境界付近にスペースがいくつかありますので、
他の車が通る際に邪魔にならないよう駐車します。
というのも、八島湿原まで車で入ることができるようです。歩いてる途中車が通っていきましたので。
旧御射山の所までも車で行くことはできますが…多分駐車スペースがありませんので無理かなーと。
御射山社へ向かう途中に見かけた秋。途中というか蓼の海ってところ。
湖畔に座り、並んで泳ぐ鴨を眺めたり風を気持ちよく受けたり…寒いけど。
迷わないよう見落とさないよう注意!カーナビあれば行けますけど。
ってか銭神社が気になる。博麗神社と正反対っぽ。
御射山社への入り口です。着いた時に役場の車が停まってました。
定期的に見に来ているようです。
ここ町道なの?あ、ここから町道ってこと?
ちょ、町道ね…。道は道ですよね!
あ、ちなみに御射山社に行くのはこの道じゃないですよw
二股に分かれた杉がいくつもあったんですけど。結びの杉が豊作ですw
まぁ流石御射山ってことですかね。山の中は清々しい気でいっぱいです。
たどり着きました、下社の御射山社です。なんか新しいですね。
左から兒玉社、御射山社、八千矛社です。兒玉は兒玉石のことでしょうか?ここで見るとは思いませんでした。
八千矛神は父親ですから当然ですね。
延命長寿の水とされている御神水です。できれば不老不死がよかったです。
飲んでみると…私には水の味が分かりません。(ぁ
でも触ってみるとなんだかヌメヌメしました。…溜まってる方を飲んだのはまずかったでしょうか。(汗)
そして道の途中にあるこの神池に注いでるらしいです。御神水だけで保たれているわけではないでしょうけどw
奥の光が差し込んでる所、なんだか伝説の剣がありそうですね!行ってみましょう!
ここを走り抜けたら勇者です。剣はありませんでした。
写真撮り忘れたんですけど、神池の一部が崩れてて、補強されてました。
さっきの町役場の人はこれを見に来たのかな?
御射山社から下りてくる途中です。10月末なのに刈り取ってない田。
ここは高地だから育成が遅いのかなー?
そして秋宮へ。風で舞い散る木の葉のように。
この後宝物館に行きました。上社と下社で分かれていますが、2つ一緒のチケットを買うとお得ですよ。
すごい資料だなー憶えられないよー写真撮りたいなー、と思いながら見学。
…そこで気付く。
私「すいません、メモとってもいいですか?」
係員「ああ、どうぞどうぞ」
何で気付かなかったんだこの愚か者めっ!(つд`)
というわけで内容で気になったところを箇条書きで。
・江戸初期の古地図にて、御射山が「三齊山」と記載されていました。
※旧御射山はこの字どおり
・春宮に筒粥殿がなく、その場所に「御供所」があった。竈はあったでしょうから、そこで行われていたのでしょうか。
あと結びの杉もありませんでした。(樹齢的に当たり前?
・古代祭祀具が展示されてあり、神代文字を生で初めて見たのが感動。
帰ってから持ってる資料の神代文字と比べたのですが、違いました。
まぁそもそも、神代文字があったかどうか分かっていないんですけどね…w
秋宮から北西へ少し行った所にある、御作田社です。
2人の子供が遊んでいたのですが、写真を撮ろうとすると
「ホラ、邪魔だよっ!」
って片方の子が遊ぶのを止めてくれてちょっと感動した。
6月30日の御作田社にて田植えを行い、できたお米を神前に奉納します。
古くは8月1日に奉納することができたと言い、御作田の早稲として諏訪七不思議に数えられています。
おあつらえ向きに植えられていますねー10月29日現在…まぁ…ね…。
分かった、あの石垣の中に秘密工場があってその中で妖精さんが働くと1ヶ月で刈り取れr(ry
★駐車情報★
御作田社前の道路は駐車禁止なので、秋宮から歩いてくることをオススメします。近いですしね
最後に春宮、絶賛工事中です。秋宮も平成21年10月に着工予定で、両神社とも平成23年まで工事が予定されています。
御柱祭どうするんですかねw
そういえば筒粥神事の占いは神楽殿で行われたそうですねー。
4本梶、お賽銭箱は上社のものでした。
さぁて…本来の予定では糸魚川沿いを下って糸魚川市を通って帰る予定でしたが…
この時既に4時。春宮の駐車場でもう一泊するか悩む。
悩んだ末、帰ることを決断。車をぶっ飛ばして日付が変わる前に帰宅しました。
厭い川行きたかったなぁ…まぁ雨が降ってきたし、次の日も雨っぽかったので諦めたのですが。
なかなか謎多き内容でした。帰ってから調べていると、よく「諏訪史」という書物を目にします。
今度国会図書館に行って見てみようかと思います。
そして再度巡礼すればより深く感銘できる事でしょう!
では次の旅路の準備をするとしましょう。主に財政的にorz
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