3日目(後編)
籠神社から北上し、次の目的地のある与謝郡伊根町へ向かいます。
当時通ったルートを確認するため地図を見ると、
籠神社の前を通る国道178号線を北上すれば着くのですが…私はこんな道を通った記憶はない!w
途中、集落の中にある細い道を海沿いに走ったはずなのに…。
と思って調べたら、どうやら当時絶賛工事中だったようで、完成したのは2010年。そりゃ通ってないわ。
完成してる部分もあったんでしょうけど、完全カーナビ頼りでしたからね…できたては載ってなかったんでしょう。
浦嶋神社
浦嶋神社です。名前から分かるとおり、浦島伝説の伝承地です。
現在一般的に知られる浦嶋伝説は、亀を助けて竜宮城に行って帰って爺さんになるという感じですが、
古来から伝わる逸話は違ったものになっています。というかこっちが本当の伝承ですけどw
内容については後述します。
伝承地だけあって、それにちなんだものがありますね。
本殿です。御祭神は浦嶋子、もちろん浦島太郎のことです。正しくは水の江の浦嶋子という名前ですが。
妹紅のスペカ「瑞江浦嶋子と五色の瑞亀」の元ネタですね。
ちなみに浦島太郎という名前は中世以降登場するそうです。
本殿の写真にも写ってますが、社殿の一部に重なってある井戸です。
神主さんに聞いたら目の神様と言ってました。
しかしこんな位置にあるもんですかね…完全に社殿の下にあるっていうのなら分かりますけど、
こんな角っこがはみ出す形で社殿が建つなんて…。最初気づかなくて社殿を建てちゃったって感じですかねw
境内にある蓬山(とこよ)の庭です。浦嶋伝説に出てくる常世を再現したそうです。
もうちょっと玉砂利がちゃんとしてたらいいなぁって感じですw
こちらの神社では、浦嶋伝説について神主さんから直接お話を聞くことが出来ます。
最初神社に来た時には、社務所等に誰もおらず、もしかして平日はいないのか…?
と危惧していましたが、ただ単に家でお昼ご飯だったみたいです。
少々待った後、とある建物の中に案内され、お話を伺いました。
大きな掛け軸の前で神社に伝わっているであろう浦嶋伝説を語って頂き、最後に宝物である玉櫛笥を見せて頂きました。
あの掛け軸は重要文化財の浦嶋明神縁起絵巻だと思うのですが、もしかして本物…?だったのかな…。
でもレーザーポインタ当ててたしレプリカだとは思いますw
正直話の内容はほとんど覚えてません。というか若干早口だったんですよ…。
もしかしたらお昼ご飯を切り上げてきてくれてたのかもしれない…みなさん時間は気をつけましょう(´・ω・`)
あと…話の前に「浦嶋伝説はいつ頃の話か御存知ですか?」と聞かれましたが、私はチキンでして…ありえないと思いながらも「鎌倉」と答えました。
それ以降どうも対応が変わったような気がして…あれってどの程度詳しく話すかの基準だったりしたのかな。
ちゃんと答えればよかったw
それでは浦嶋伝説についてです。
最古のものは日本書紀ですが、簡単な一文しか記載されていない為、
丹後国風土記に詳しく載っているものをかなり噛み砕いて訳します。
万葉集にもありますがちょっと内容が違うんですよね。
丹後国風土記 〜筒川嶋子、水江浦嶋子の項〜
長いです飛ばしてもいいです
雄略天皇の時代(日本書紀には478年)水の江の浦嶋子は沖に釣りに出ました。
三日経っても魚を一匹も釣ることができなかったが、不意に五色の亀を釣り上げました。
浦嶋子は舟にあげて亀を眺めているうちに眠ってしまいます。そして目を覚ますと亀は美しい娘の姿となっていました。
驚いた浦嶋子は、娘に問います。
浦嶋子「ちょ!ここ海の上なんだけど!どうやって来たの!?」
娘「海の上にかっこいい人がいたから、お話したいなーと思って風雲に乗ってきたんです♪」
浦嶋子「風雲…? え…、ど、どこから来たの?」
娘「実は私、天上の仙人の娘なんですよ。あ、嘘じゃないですよ?仲良くお話しましょう♪」
浦嶋子(仙人!?うわーどうすりゃいいんだ?ってかマジか…?)
娘「えと…私、ずっとあなたと一緒にいたいと思ってるんです…。あなたのお気持ちは…?返事を聞かせてください!><」
浦嶋子「オレも君の事を愛している(キリッ」
浦嶋子は娘に目を瞑らされ、海の中の大きな島に連れて来られました。そこは見聞きしたことがない綺麗な所でした。
一つの立派な家の門に辿り着くと、娘はここで待つように言い中へ入っていきました。
すると中から7人の子供が現れ、「この人が亀姫の夫だってー」と言いました。
今度は中から8人の子供が現れ、「この人が亀姫の夫だってー」と言いました。
ここで浦嶋子は初めて娘の名前を知りました。しばらくすると娘が出てきたので、浦嶋子は子供のことを尋ねます。
娘は「7人の子供は昴星、8人の子供は畢星です。気にしないでください。」と言い、導くように門の中へ入っていきました。
娘の両親は浦嶋子を歓迎、人間と仙人の世界の違いを説明し、人と神が出会ったことを喜んでくれたました。
宴では沢山の美味しい物を食べ、娘の兄弟姉妹とも杯を交わし、近所の幼女(あえて原文w)も楽しんでいました。
日が経つのも忘れ楽しんでいたが、夕方になると仙人たちは段々と帰って行き、浦嶋子と娘だけになりました。
二人は肩を並べ、袖を重ねあい、夫婦の交わりを行いました。
こうして故郷を忘れて仙界に住むこと、三年が経ちました。
浦嶋子は故郷と両親が恋しくなり、日に日に想いが募っていきました。娘は問います。
娘「最近あなたの顔を見ているといつもと違う気がするの…どうかしたの?教えて?」
浦嶋子「昔の人は、小さい人間は故郷を懐かしみ、死期が近い狐は生まれた巣に戻る、って言ってたけど…ホントだったなぁ。」
娘「もしかして…故郷に帰りたい…の?」
浦嶋子「オレは両親と離れてこの遠い神仙に来たけど、故郷が恋しくてつい弱音がね…。できれば…さ、帰って両親に会いたいんだ。」
娘「そ…んな…私達は永遠の愛を誓ったのに…故郷が懐かしいからって私を捨てちゃうの!? そんなのイヤ!」
泣きながら娘は言いましたが、二人は悲しさを語り合い、ついに別れ、帰ることになってしまいました。
娘の両親や親戚は別れを悲しみながら見送ります。娘は玉匣(たまくしげ)を浦嶋子に渡しながら言います。
娘「もし…私のことを忘れずにいてくれて…また帰ってきてくれるなら…この玉匣をしっかりと持って、絶対に…絶対に開けないでいてね…。」
こうして浦嶋子は娘に目を瞑らされると、故郷に戻ってくることができました。
すぐに村の様子を見てみると、人や物が変わっており、知っている物は何もありませんでした。
そこで村人に聞きました。
浦嶋子「あのー、水の江の浦嶋子の家は今どこにありますか?」
村人A「おまえさんどっから来なすった?随分と昔の人のこと聞いて…。オラがじさまに聞いた話だと、むかーし浦嶋子ってやつがおってな。
一人で海に出て、帰って来なかったんだと。300年以上経ってるらしいけどもな。…にしてもなんでこんな事聞くんだ?」
浦嶋子は放心状態で村を歩き回ったが、一人も知人と会うことはなく、十日経ちました。玉匣を撫でながら娘のことを想いました。
そして浦嶋子が約束を忘れて玉匣を開けてしまうと、瞬く間に若々しい体は風雲と供に空へ飛び去ってしまいました。
すぐに浦嶋子は、約束を破ったのでまた再び娘と会うことはできないのだと悟り、咽び涙しながら歩き回った。
そして涙を拭ってこう歌いました。
『常世の方に雲がたなびいて行く…オレの言葉を届けてくれんだろうな…。』
すると娘が、遥か彼方から心地よい言葉を飛ばして歌いかけてきました。
『大和に風が吹いて、雲が離れ離れになるように私達が離れていても…私のことを忘れないでくださいね。』
浦嶋子は恋しさに堪らず、歌い返しました。
『君のことが恋しくて…朝、戸を開けて座っていると、常世の浜の波の音が聞こえてくるようだよ…。』
終わり
如何でしたでしょうか。会話部分は正直ごめんなさい。(でも本当にこう訳せるんです)
私は不覚にも泣いたよ? 歳だね。まぁ脳内で二次元再生されてたんですけど。娘は霍青娥でw
さて、子供の頃に聞いた話と大分違いますよね。違うところが多すぎるので私が気になったところを書きます。
まず五色の亀を釣り上げたというところですね。五色は籠神社と同じく五行の五色でしょう。妹紅のスペカの瑞亀もこれ。
しかも亀は結局なんだったのか。娘は雲に乗ってやってきたと言ってます。亀ではないように見受けられますが…?
亀の目を通して自分でも見れる術を使っていたところ浦嶋子に釣られ、浦嶋子に一目惚れでやって来た、なんて…妄想しました。
そして常世は海の中にありました…って風雲に乗ってきたんじゃないの!?天上の仙人の娘…言ってることおかしいよ!
この話は神仙思想の影響を受けてますから、神仙のイメージをそのまま引用したのでしょうか…。
もうちょっと考えなかったんでしょうかね…。
7人と8人の子供が出てきます。昴星と畢星…気になるのですが私は星について全く知識がないので語れません。
いつかは勉強したいとは思ってるんですけどね…。わざわざ出てくるんだから意味はあるのでしょう…キニナル。
娘は亀姫(原文では比売)という名前でしたが、常世について初めて知ることになりました。
もしすぐに名乗っていたら…娘は亀なのではと疑い、結婚することがなかったのかも?
でも結婚後にやべぇなんて思ったって手遅れ、みたいな罠だったりして!
そういえば浦嶋子は名乗っていませんね。原文でも娘は浦嶋子のことを「君」(訳せばあなた、だんな様)と呼んでいます。
単純に、常世の名前を現世で使うことはできず、逆も然りっていう意味にも考えられますけども。
娘は浦嶋子に玉匣を渡します。これは私達も知っている話と違いはないのですが、その時の台詞が違います。
「もしまた会いたい(戻りたい)時は、絶対に開けてはいけない。」
つまり玉匣は娘と会える可能性、会えない可能性の両方を秘めています。
わざわざ渡した玉匣、これがないと常世には戻れないのでしょう。渡しても開けてしまうと会うことは出来ない諸刃の剣。
玉匣は常世に導く道しるべなのか、それとも浦嶋子が常世に戻れる体であるのを維持するための装置なのか。…SFチックになってしまいました。
まぁ、なんであんな玉手箱なんて危険な物を渡したんだなんて子供の頃は思っていましたが、こういう内容ならば納得できますね。
300年以上も常世にいたとなっていますが…最低でも778年以降帰ってきたことになりますね。
帝王編年記という室町時代に書かれた書物には825年に帰ってきたと記載されています。
しかし風土記、万葉集のいずれもそれ以前に成立しています…。(8世紀後半であればギリギリ間に合いますが)
日本書紀に詳しくは別の巻にて、とありますので、それさえあればいろいろ分かるんでしょうけどね。
最後の歌に急に「大和」という地名が出てきましたね…やはりこれは大和での話しなのか?
それともただ単に大和の支配下である場所でのこと、という程度なのか。
以上、浦嶋伝説についてでした!長々と書いて若干後悔しています、見辛くてスイマセン…。
伊根町
次の目的地へ行く途中、腹ごしらえの為道の駅に立ち寄りました。
いか飯!美味しかったです。この頃の私が食べ物にお金をかけるなんて珍しいんですよ。w
道の駅の展望台から眺めてて初めて気づきました…。
あれって舟屋だ!www
舟屋の存在はTVでよく見かけていたので知っていましたが、こんな所にあったなんて知りませんでした…。
車で通っていたあの海沿いの集落は舟屋だったんですね…。
大江山
次なる目的地に向かう途中、宮津市内で購入しました。ハクレイ酒造の地酒です。
ハクレイに萃香の元ネタ…二度美味しいです。
酒屋にあるだろうと思ったら酒屋自体見つけられなくて…諦めてコンビニで買った代物。
意外と地方名産があるんですよねーコンビニって。
目印となる航空管制塔です。ここまで来るのに結構上ります。
私が借りたレンタカーは軽自動車で…途中幾度も止まるかと思いました。
これ以来私は絶対軽自動車には乗らないと決めましたw
航空管制塔の付近にある看板にしたがって進みます。獣道ですのでご注意を。
この時期だから草は少ないですけど…夏場は鬱蒼と茂ってそうですね。
滑空路から望む景色です。ギリギリ天橋立が見えるような見えないような…?
地図はもう意味を成していませんw
こちらが鬼が住んでいたとされる鬼の岩屋です。落ちている葉っぱの大きさから分かるとおり…萃香専用です。
土砂に埋もれているだけで、掘り返せば大きな洞窟があるのかもしれませんけど。
鬼の岩屋から来た道を戻り、一旦山を下りて別の道から大江山に上ります。
大江山の中ほどにある鬼嶽稲荷神社です。昔は頂上付近にあったとされ、本来はこの地で土蜘蛛退治を行った日子坐王を祀っていました。
今ネットで調べたら、どうやらこの神社は存亡の危機らしいです…。
過疎高齢化の進む9軒の家で維持されてるといい、昨年の大雪での被害を修復するには限界があるそうで…。
歴史ある神社ですから後世に残って欲しいと切に願います。
行ける機会があればできるだけ大きな硬貨を賽銭箱に入れたい…ってかもっと納めたくても無人なんですよねぇ…。
稲荷神社の近くに「鬼の洞窟」という看板があり、斜面に沿って道が続いていました。
行っては見たものの…斜面から落ちそうだし場所分からないし道が消えて迷いそうだったので断念。
途中にあった祠です。
大江山を下り、京都方面へ走ります。その途中にある鬼退治に関連する史跡の一つ、鬼の足跡です。
こっちはかなり大きいです。なんか靴の足跡に見えますがw
頼光が腰掛けて休憩したといわれる岩です。何故わざわざこんな大きな岩に座ったのか。
何かの遺跡!?かと思いましたが明らかにコンクリートですね。
しかしこの辺りはゴロゴロと岩が多いです。何かいそうな感じ。
新童子橋という橋らしいです。渡りますよぉ。
高いいぃ…でも絶景かな絶景かな。
橋付近にあった美多良志荒神です。
大江山の鬼退治は源頼光によるものが有名ですが、それ以前にも鬼退治が存在しています。
それは、聖徳太子の弟である麻呂子親王による鬼退治です。内容は以下の通り。
英胡、軽足、土熊らに率いられた鬼神達がいたが、妖術を使い姿を消したり現したりするため親王軍は苦戦していた。
その時、額に鏡をつけた白い犬が2頭現れ、その鏡で鬼神達を照らすと彼らは姿を消すことができなくなった。
こうして親王軍は鬼神達を退治することが出来たが、白い犬は何故か死んでしまった。
犬達はきっと戦勝祈願を行った元伊勢の神の化身だったと考え、残った鏡を加悦とここに祀った。
歴史あるお宮で手前の枯れた木の株なんかもそれを感じさせます。
参拝ノートに書いてあった二次絵が気になりました。
大江山 元伊勢三社
大江山の麓にある元伊勢三社の内宮にあたる皇大神社です。
ここから時間との戦いになり、若干急いでいた為、入り口の写真を見事に取り忘れてますね…。
階段の中腹にある杉は麻呂子親王の植えたもので他に2本植えましたが1本は枯れてしまいました。
あんなに人が歩くところの方が枯れないなんて…なんか違和感。
確かこの階段の下に授与所?か社務所があって御朱印をお願いしたんですが、
なんと自分で押してと言われ、自分で日付まで書きました!
これは貴重な体験…かと思いきや押したのはどう見てもスタンプでしたというオチ。神爾は…。
帰ってきてから調べたらちゃんとした御朱印もある模様。じゃああのじいさん誰だよwww
カネのなる石…だと…?お金持ちになれるのかい?
残念ながら叩くと金属音がする石でした。紛らわしいっ。
怪しげな穴が…というかこれ古墳じゃないですよね…?何も説明とかなかったので違うとは思うんですけど…。
こちらが本殿、しっかりとした茅葺ですね。ご祭神は天照大御神です。
…ってさっきのスタンプに岩長姫って書いてあったけど?なんなのwww
真実については後述。
境内でひときわ目立つこの杉は、龍灯の杉と言い、節分の深夜に龍が灯を献ずると言われています。
樹齢2000年らしいですが、1961年に信者の松明から火がうつってしまいこのような姿になったそうです。
古式も大事ですが、文化第一な私は安全な灯りを使った方がいいと思ってしまいますねぇ…。木造ばかりですから…。
真名井の池です。宮津の元伊勢にも真名井神社がありますね。字も全く一緒です。
信仰対象になり得るのは分かりますが…果たしてパクリなのか。
また穴がありましたよ!でもこちら防空壕っぽいですね。…ですよね?
次に元伊勢三社の天岩戸神社に向かいますが、途中に御神体山の遙拝所があります。
綺麗なピラミッド型をしていますね、私がここに来たかった理由の一つでもあります。
説明には岩戸山とありますが、地図には城山とありました…。
地図の方が正式名称っぽいのですが、説明を書いたのが京都府とあるので、正式名称を全く書かないとも思えませんが…。
こちらが天岩戸神社です。崖に建てられてます…。
御祭神は櫛岩窓戸命と豊岩窓戸命、門の神様です。
天岩戸神話にて、天照大御神が岩戸から出てきた後、大御神の神殿の守衛となりました。
鎖を使ってよじ登ります。こういうの私得意ですw
まぁ軽いからなんですけど。
ここに来たかった目的のもう一つがこちらです。
まるで川を堰き止めるかのようにある大きな岩。これこそが本来の信仰対象だったのではと思えてしまいます。
私はネットでここの画像を見た瞬間、「まるでアメノオハバリじゃないか…」と思いました。
アメノオハバリとは、天安河の川上にある天の岩屋にいて、水を堰き止めている神様です。
そしてここはいい場所でした。気が満ちているというか、また行きたくなる場所。
最後に元伊勢三社の外宮、豊受大神社です。
駐車スペースに停めていたところ、神社の方が帰り支度をしていたので急いで御朱印をお願いしました。
こちらはスタンプじゃなかった…よかったw
いよいよもって暗くて見えない。でも写真には結構写ってる…高感度ってすごい。
実は一枚目は帰りに撮影したのですが、ほぼ真っ暗状態だったのにあんなに明るく撮れて目を疑ったものですw
こちらの鳥居は黒木鳥居といい、木の皮を剥がずにそのまま鳥居に使用したものです。
こちらが社殿です。御祭神は豊受大神。
私が見落としたのかも知れませんが、由緒書きがなかったため説明が書けません…。
今はちゃんと神社の人に由緒書きかしおりの確認をするんですけどね…日々成長です。
最後の紹介がこんなでは全然締まらないですねww
でもどうしようもないのでご勘弁ください…真っ暗だったし(つд`)
さてさて…皇大神社では不可思議な部分が多々あり、帰ってから改めて調べてみました。
そうしますと…なるほどというような事実が出てきたわけです。
しかし正直この件についてはできれば触れたくない…でも説明しちゃう!
どうせここに来る人に気にする人なんていないでしょう、いないでください(←
どうやら事の発端は某宗教団体の教祖が「こここそが元伊勢だ!」と言い、天岩戸神社で禊を行ったことらしいです。
それ以来この地は古神道の聖地になったとか…。なんとも迷わk…ゲフゲフ。
ごく普通の方は初めて「古神道」と聞くと、多分読んで字の如くに捉えてしまうのではないでしょうか。
それも間違いではないのですが…違う意味合いの方が強い為、気をつけて頂きたいです。
「大本事件」とかで検索すればまぁ分かっていただけるんではないでしょうか。
そして皇大神社にて私が社務所と思い込んでいたあの建物、どうやら神社とは全く関係ない宗教団体だったようです。
今思えば変な法被を着ていたような気もします…気づけよ私…。
皇大神社はすごく管理されていて、お社に至っては80以上もあるんです。
正直、こんな田舎の山の中の神社がここまで維持できるとはすごいなぁ…と思っていましたw 納得です。
御神木を燃やした信者っていうのもそういうことなんですね…。
でもでもです!この場所自体はいい所なんですよ!
もしかしたら集団でお経を唱えてる人がいるかもしれませんが!そういうのはスルーしても来る価値はあると思うんです。
オススメしたい神社であります。
この後京都市内まで行きレンタカーを返却し、名古屋へ向かいました。そして名古屋のネカフェで一泊…。
本来では次の日も名古屋にて巡礼を行う予定でしたが、疲労困憊してしまったため取り止めに。
毎度おなじみ「予定は所詮予定」です。でもできれば計画通りに事を進めていきたいなぁ…。
しかし今回はデリケートな場所ばかりいった気がする…3日目とか3日目とか。
書いておいてあれですが最後の文章で若干ビビッてます…w
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2009年4月1日〜3日巡礼