さてさて…なんと書けばよいのやら…。

まず激しく寝不足。睡眠時間2時間弱。
駅に着くと、メトロ東西の事故のせいで総武線大幅遅延。(千葉発鹿島神宮行きに乗る予定)
地下鉄に乗ってJRの駅に着いたところで18きっぷ忘れたことに気付く

暴走した私は勢いで鹿島神宮までの切符を2人分購入し、総武線に飛び乗る。
人間冷静にならないとダメですね…遅延してるから電車に間に合わないのに。
私鉄に乗れば安いし鹿島行きにも乗れたのに…orz


そんな出だしから波乱万丈な今回ですが、予定をいろいろ変更してなんとか参拝できました。
銚子に行っておいしい海鮮食べようっていう計画を削ってね…。










香取神宮






香取駅に到着です。伏見稲荷駅みたいな感じですね。色的に。
無人駅ですが成田線なのでSuicaも使えちゃいます!鹿島線には使えませんが!

ここから香取神宮までは徒歩で30分程度かかります。はっきり言って遠いです。
普通の方は香取市の中心駅である隣の佐原駅からタクシーで向かいます。
バスはありません…故に貧乏人は歩くしか!ただでさえ切符忘れたんですから…。


写真撮り忘れたのですが、途中に神道山という素敵な名前の山がありました。其の周囲には古墳群もあるようです。
時間があれば見てみたかった…。






30分はかからなかったように思いましたが、取り敢えず到着です。
うーん…まぁ平日ということもあるんでしょうけど、人がいないですねぇ。
お土産屋のおばちゃんの客寄せが響き渡っていました。貧乏人なので勘弁してください。
というか食べてる時間が…。






鳥居をくぐってちょっと歩きます。途中、奥宮要石云々という記述を見つけますが、後でとスルー。






総門です。なんか綺麗な朱塗りですね。修復したのかな…?






こちらが拝殿、奥に本殿があります。御祭神は経津主大神です。
いろいろと政略が見られる神様ですが、ここでは記述致しません。
総門とは違い、漆塗りですね。こちらも綺麗に塗られています。装飾も綺麗…。
が、こちらの拝殿は、昭和15年に建てられた新しいものなのです。そりゃ綺麗だ。
政府の特別議会によって国費39万7千円を投じられた大改修だったみたいです。
当時は神国日本を掲げていた時代ですしねぇ…。
現在の価格に直すと…2億6200万円!価格だけ見ると意外と少ないですね。






本殿向かって左側の装飾です。鳥は分かるんですが…なんだろう。
尻尾の形状からすると、鳳凰かな?






本殿向かって右側の装飾です。こちらは分かりやすいですね、孔雀です。
堂々と書いておきながら間違ってたらはずかしい…。






拝殿の左側にあった謎の盛り土。ここだけにあったので意味も分かりませんね…。
あー今更ながら神社の人に聞けばよかった!






こちらは祈祷殿です。昭和15年に現在の拝殿が建てられるまで拝殿として利用されていました。
現在の拝殿本殿とは違い、朱塗りです。塗り替えちゃったのかなぁ?
同時に造営された本殿と楼門は重文なのに、こちらは県有形文化財ですし…。






社務所前にある御神木です。樹齢1000年以上と伝えられています。
なんだか中途半端な場所に生えている気がしますが…。






楼門をくぐってすぎ左手に見える木々。
松は大正天皇が植えたものだそうです。






参道途中にあった記述を頼りに進みますとあります、こちらが要石です。とても小さいですw
残念ながら天子さんの乗っているものとは形状も大きさも異なりますが、
この石が地中深くまで伸びていると思うと不思議な感じが致します。




さぁ最後に奥宮へ…と更に奥へ行ったのですが…見つからずorz
電車時間も迫っていたため断念…無念。
朽ちたに近い看板があったのですが、どうみても民家の方を指しており、勝手に入っていいものかも躊躇われ…。

そもそも御本殿へ向かう参道の途中に奥宮があるというのも珍しいですよね。
奥宮は以前に御本殿があった場所であることが多いですから、そう考えると納得いきますが。
一番重要な要石の近くに坐することになりますしね。

この他に社務所横にある宝物館を見学。私個人的には昔の絵図しか見物は無かったかなぁ…。










鹿島神宮






香取駅から鹿島線に乗り、鹿島神宮駅で下車、徒歩五分ほどとなります。鹿島神宮です。
古くは鹿島ではなく香島と書かれていたそうで、香取との関係の深さが分かります。
こちらは平日にもかかわらず、結構参拝者が見受けられました。






(↑をクリックすると1280サイズが見られます)
こちらもなかなか考えさせられます。参道に対して御本殿、奥宮が道脇に位置しているのです。
どのような経緯でこういう形になったのでしょうか…。






重文の楼門をくぐります。参道と直角に建っていないのが気になるー…。
む、ましろんの手が写ってしまった。






こちらが拝殿、奥に御本殿となります。御本殿の裏には御神木があります。
御祭神は武甕槌大神、神奈子様の元ネタであるタケミカヅチの手をひねり潰しちゃった神様です。






仮殿です。常にあるんですね。まぁ出雲大社みたいにその都度建てる方が珍しいんでしょうけどw






参道を更に奥に進みますと、奥宮があります。現在の御本殿が造営されるまで本殿として使われていました。
こちらも参道に対して右側に位置しています。






奥宮を右に曲がり進むと、鹿島の要石があります。
香取の要石を凸型とし、鹿島の要石は凹型となります。ちょっと写真じゃ分かり辛いのですが、石が凹んでます。
一説によりますと、香取鹿島の要石は地中で繋がっており、利根川の堰のような形になっているといいます。






要石から奥宮へ戻り、奥宮の目の前にのびる坂を下っていきますと、こちらの御手洗池があります。
すごく透明な水です…鯉が泳いでますけどね。昔はこちらで禊を行ってから参拝されていたそうです。

そう、つまりここが本来の参道となるのです。
御手洗池、奥宮(元御本殿のあった場所)、要石。このラインが本来の鹿島の姿です。




さて、この鹿島神宮にも宝物館があります。中でも特筆すべきはやはり国宝の直刀でしょう。
なんと長さが約3mもある御神刀で奈良末期から平安初期の造りとされ、古くは御本殿内に祀られていたそうです。
諏訪大社にも御神刀として2mほどの湾刀が展示されていましたが、確か鎌倉時代の造り。格が違いますね…。

韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)と呼ばれているそうですが…これに関してはこれまたややこしい関係。
第弐回に記述していますが、フツノミタマノツルギは石神神宮に祀られています。
そもそもタケミカヅチ、フツヌシは藤原氏(中臣氏)と深く関わっており、それはもう政略的なものが絡まりあっているのです。
古事記と日本書紀の記載の違いにも目を配らなければいけません。
私も現在頭の中で整理がついていない状態なのでここでの詳しい記載は避けます。
興味のある方はお調べになってみては如何でしょうか…。









これにて今回の巡礼は終了です。千葉の民度の低い電車に揺られながら帰宅です。
毎度計画の薄さがひどい有様ですが…冷静に対処できるような人間になりたいですね。




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2009年9月9日巡礼