さてさて…なんと書けばよいのやら…。
まず激しく寝不足。睡眠時間2時間弱。
駅に着くと、メトロ東西の事故のせいで総武線大幅遅延。(千葉発鹿島神宮行きに乗る予定)
地下鉄に乗ってJRの駅に着いたところで18きっぷ忘れたことに気付く。
暴走した私は勢いで鹿島神宮までの切符を2人分購入し、総武線に飛び乗る。
人間冷静にならないとダメですね…遅延してるから電車に間に合わないのに。
私鉄に乗れば安いし鹿島行きにも乗れたのに…orz
そんな出だしから波乱万丈な今回ですが、予定をいろいろ変更してなんとか参拝できました。
銚子に行っておいしい海鮮食べようっていう計画を削ってね…。
鹿島神宮
香取駅から鹿島線に乗り、鹿島神宮駅で下車、徒歩五分ほどとなります。鹿島神宮です。
古くは鹿島ではなく香島と書かれていたそうで、香取との関係の深さが分かります。
こちらは平日にもかかわらず、結構参拝者が見受けられました。
(↑をクリックすると1280サイズが見られます)
こちらもなかなか考えさせられます。参道に対して御本殿、奥宮が道脇に位置しているのです。
どのような経緯でこういう形になったのでしょうか…。
重文の楼門をくぐります。参道と直角に建っていないのが気になるー…。
む、ましろんの手が写ってしまった。
こちらが拝殿、奥に御本殿となります。御本殿の裏には御神木があります。
御祭神は武甕槌大神、神奈子様の元ネタであるタケミカヅチの手をひねり潰しちゃった神様です。
仮殿です。常にあるんですね。まぁ出雲大社みたいにその都度建てる方が珍しいんでしょうけどw
参道を更に奥に進みますと、奥宮があります。現在の御本殿が造営されるまで本殿として使われていました。
こちらも参道に対して右側に位置しています。
奥宮を右に曲がり進むと、鹿島の要石があります。
香取の要石を凸型とし、鹿島の要石は凹型となります。ちょっと写真じゃ分かり辛いのですが、石が凹んでます。
一説によりますと、香取鹿島の要石は地中で繋がっており、利根川の堰のような形になっているといいます。
要石から奥宮へ戻り、奥宮の目の前にのびる坂を下っていきますと、こちらの御手洗池があります。
すごく透明な水です…鯉が泳いでますけどね。昔はこちらで禊を行ってから参拝されていたそうです。
そう、つまりここが本来の参道となるのです。
御手洗池、奥宮(元御本殿のあった場所)、要石。このラインが本来の鹿島の姿です。
さて、この鹿島神宮にも宝物館があります。中でも特筆すべきはやはり国宝の直刀でしょう。
なんと長さが約3mもある御神刀で奈良末期から平安初期の造りとされ、古くは御本殿内に祀られていたそうです。
諏訪大社にも御神刀として2mほどの湾刀が展示されていましたが、確か鎌倉時代の造り。格が違いますね…。
韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)と呼ばれているそうですが…これに関してはこれまたややこしい関係。
第弐回に記述していますが、フツノミタマノツルギは石神神宮に祀られています。
そもそもタケミカヅチ、フツヌシは藤原氏(中臣氏)と深く関わっており、それはもう政略的なものが絡まりあっているのです。
古事記と日本書紀の記載の違いにも目を配らなければいけません。
私も現在頭の中で整理がついていない状態なのでここでの詳しい記載は避けます。
興味のある方はお調べになってみては如何でしょうか…。
これにて今回の巡礼は終了です。千葉の民度の低い電車に揺られながら帰宅です。
毎度計画の薄さがひどい有様ですが…冷静に対処できるような人間になりたいですね。
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2009年9月9日巡礼