1日目
あ、先に断っておきますけど
これ書いてるの6月でして、5ヶ月くらい経過してるのでかなり曖昧な所がありますスイマセン。(酷
出発は私の実家。(山形県某所)
諏訪は交通手段が少ないということなので、実家に置いてある車を起用したのです。
冬の諏訪で立ち往生なんて勘弁願いたいですからね。
ただ単に車を運転するのが好きでってだけじゃないよっ!
てなわけで出発当日。
天気はあいにくの雨模様…程度じゃ済まなかった。
ものっそい吹雪。冬とはいえこれはひどい。冬型の気圧配置なわけですけど。
5時くらいにくろさぎ家へ向かったんですが、降雪より風がやばい。
雪が降る地域がどこも当てはまるかは知らないんですけど
雪が積もること自体よりもそこへ風が吹くことの方が大変危険です。(ってじっちゃが言ってた)
詳しくは「吹き溜まり」で検索してみるといいよ。
ちなみにこの時、諏訪では風速10mだったみたいですあーうー。
でもこの天気は西から来ていたので、長野において昼過ぎには晴れる模様。
実際新潟を過ぎる頃にはほとんど晴れていました。よかったよかった。
本当は、はねさんの希望で諏訪に行く前に森将軍塚古墳とか見に行ったんですが割愛させて頂きます。ゴメンね。
さぁ諏訪に到着だよ!
でももう日も落ちて真っ暗だよ!
更埴からは高速おりて一般道。カーナビにそそのかされて安曇野地方で山道に入ってクネクネ。結構時間かかった。
神主ブログ2006/8/17付けの日記にあるトンネルを通ったような気がする。実家近くだったんだろうか。
2日目
まず行ったのは諏訪大社上社前宮。
四社ある諏訪大社のうち最も歴史ある御社。本宮の前身とされています。
御祭神は八坂刀売神、後述の建御名方神の妃神です。
八坂神奈子の名前はきっとここからですね。でもなぜ神奈子…。
ちなみにこの字、東郷平八郎の字だそうです。裏に書いてあった。
意外と広い…っていうか何もない。
いろいろ書かれてますけど前宮自体はそんなに広くないです。
一番下に書いてある道路沿いに駐車したので本殿までちょっとあります。
どうせ見て回るんですからちょうどいいですけどね。
社務所等がある場所から50mほど登った所にあります本殿です。
守屋山が御神体なので昔はきっとなかったんでしょう。
それにしても人少ないなぁ…正月なのに。
ケロちゃん!ケロちゃんはどこ!
ミシャグジさまだって受け止めてやる!(←
それはおいといて。
スワ神は建御名方神のことかな。昔は本宮はなく、ここに二柱の神が合わせて祀られていたのでしょう。
しかし生き神ってことは…ご神体は大祝になるのかな?それとも神事の時だけのただの依代?
神体山の守屋山ってもしかして後世の後付け?謎すぎる。
もうちょっと分かりやすく書いて欲しいー。
おおおおおおこれが噂に名高い御柱!初めて見た!
意外と…細長いです。
しまった、対比用に誰か立たせて撮ればよかった。
水眼の清流…と御柱二之柱。見ただけだと実家の近くにある沢の清流と同じですけど
やはり神社の近くにあるだけで神聖な感じがします…多分。
そしてこの清流よく見ると
めっちゃ凍ってます、さすが諏訪です。
湧き出てるとこを見てみたいな…と思いましたが
時間がおしていたことと、同行者二名はそこまで動かないだろうと思い断念。
っていうか途中看板で「関係者以外入山禁止」ってあったしね。
前宮の周りには普通に民家があって、本殿へ行く途中も民家脇の道路を通ります。
どういう理由でこういう状態なのかちょっと気になりましたが
全体的に前宮は廃れている感が…。
正に幻想郷入りしちゃったって感じですね。
この感じが好きではありますけどねw
しかし本殿周りには何もなくて風が寒かったなぁ…。
続いてやって来たのは諏訪大社上社本宮です。
本宮って…。前宮が可哀想!(何
御祭神は建御名方神。八坂神奈子の名前以外のモデルです。
こっちは人多いなぁ…正月だから…あれ?
ちょwなんか御柱太いですけど!前宮が可哀想!
天流水舎…俗にお天水と称される。
どんな晴天の日でも雫が三滴は屋根上の穴から降り落ちると云われ
諏訪七不思議の一つに数えられている。Byそこの立て札
三之柱と四之柱が見つからない!と探していた所
どうも本殿裏にあるらしく…。
でも行っちゃいました。道なき道を通って…いや、歩いた跡はありましたよ?
小川に薄い板がかかってたのでそこを通って…田舎人だから共感できます。
ちょうど三之柱と四之柱の中間にあった謎の祠。
こんな小さな祠にもオンバシラー。
ここで豆知識!
神社に行ったら可能であれば本殿の裏を見てみよう!
実は結構重要なものがあったりすることが多いらしいです。
でも無理して行っちゃダメですよ?
この祠は本殿の裏にあったわけじゃないですが。
本宮は人が多くてお祓いが盛んに行われていました。
賑やか(明治神宮等ほどではない)だった分神聖さはありませんでしたけど
神様は賑やかな方が喜ぶんでしょうかね。だったらいいんですけど…。
実は本宮の拝殿は神体山の方を向いていません。山を南として東を向いています。
拝殿の方角には…前宮かな。
前宮の立て札にも書いてありますが、前宮には大祝の居館がありました。
ということは大祝を神とするならば、大祝のいる前宮の方に拝するのはごく当たり前なわけで…。
やはり神体山は後付けなんだろうか。後付けはよくある話ですけどね。
続きまして、神長官
守矢資料館。じんちょうかん…と読むらしいですが、音読みなのでしっくりこない…。
神長官とは簡単に言えば筆頭神官。今で言う宮司よりも更に上の地位で、様々な特権があったのでしょう。
かっこいい。
ってかここ普通のご自宅ですからね!
御頭御社宮司総社。ミシャグジ様が祀られています。
大きな御社ではありませんが、諏訪において重要な場所。いつまでもこのままであって欲しいですね。
資料館では祭祀の際の供物(模型)等が展示されています。
風林火山ブーム(当時)にあやかって、武田家からの手紙なども展示してました。でも正直興味なかった。(おい
あと、ここで売っている「守矢資料館のしおり」ってのがあるんですが
200円の割りにかなり内容が濃いです、絶対買いです、逃すまじ。
公的な運営なので領収書を渡されたんですが、名前間違って書かれた…。
あ、あとほとんどの方はご存知でしょうけど
守矢家現当主は守矢早苗さんとおっしゃいます。
ですので無闇に某巫女の名前を叫ばないように。連呼や嫁発言なんて持っての外ですよ!
続いてやって参りましたのがここ、洩矢神社です。(ちょっと迷った)
御祭神は洩矢神(もりやのかみ)。諏訪大社の御祭神、建御名方神が諏訪へ来る前までこの地を統治していた神様です。
洩矢諏訪子のモデルはこの神様でしょうね。
ってなわけでケロちゃん出てコーイ!…誰もいなかった。
建御名方神が諏訪へ侵攻して来た際、天竜川を挟んで争いましたが
その時に洩矢神側の陣営があった場所がここです。
先ほど紹介しました神長官守矢家は、洩矢神の子孫になります。
早苗(巫女の)は諏訪子の子孫という設定とも一致してますね。
戦には負けましたけど、建御名方神を祀る側としてこの地の実権を持ち続けていたというわけですね。
ここにあった由緒書には神長官(おみちょうかん)と書いてある…。読み違うし湯桶読み?
ここでお詫び。何故か撮ったはずの本殿の写真が見つからない。申し訳ありません…orz
春に撮ったものを次回で掲載しますのでそちらをご覧下さい。
ちなみに結構新しいです。
この神社、かなり閑散としていまして、完全に幻想郷入りしてるなーと思いました。
神社の周りはマレットゴルフ場になってるし…。
いくら日本の神様がお祭り好きでもこれはないです。ひどい。
せめて我々だけでも洩矢神への信仰心を持っていきたいと思う。
チェックインの時間になったので二日目はこれにて終了。
なぜこんな早い時間(15時)に予約したのかは謎。自分でも分からない。
なんて、終了じゃないでしょっ。
メインイベントの筒粥神事はこの日の夜。今日と言う日はもうちょっと続くのじゃ。
筒粥神事へ