2日目
この日の朝の気温は4度。うー寒い寒い。
でも何故かそんなに寒く感じませんでしたね。心が暖かかったから。(何
まずは前宮へ参拝してご挨拶を。意外と紅葉しててビックリです。まだ早いと思ってました。
諏訪の紅葉は寒地の割には遅めで、11月上旬なのです。
日照時間とかそこらへんのせいですかね。
朝日を浴びて綺麗に映えてますね。
あーこのまま幻想郷に行けないかなぁ…(←
諏訪大社上社 御射山社
ちょびっと迷いつつ辿り着きました。
私は案内図の下にある道路から赤印の所へ車で上ってきました。随分と細い道で。
※画像クリックで1280サイズを表示します
中にお社が2社ありまして、左側が御射山社です。
右側は…スイマセン忘れましたorz
確か国常立命だったと思うのですが…。
案内図の神楽殿の位置にあった建物。どう見ても物置。
それに天井が低くて神楽なんて舞えたものじゃないと思うのですが…。
むしろその隣にあったこの区画が怪しい感じ。
もともとはここに神楽殿があったのでしょうか。
その他にも摂社や穂屋など。迷った時間を取り返すべく急ぎ足で見る程度だったのが残念。
皆さんもお立ち寄りの際は是非一句…私は書いてませんけどね。
短歌なら詠めるんですけどw
諏訪七石七木
さーて、ここからが今回のメインイベントです。
下調べはしてましたが、若干位置が曖昧だったので今日中に回れるか不安になりながらもwktk。
需要があるのか分かりませんがちょくちょく駐車情報も入れます。私は結構迷ったのでw
闢廬社 橡湛
まず最初は闢盧社(アキホシャ)です。難しい漢字ですね。
祭神は保食神、食べ物の神様ですね。ここでも御狩神事が行われていたそうです。
食べ物とは獲物のことでしょうか。
実はこの闢盧社の社殿は、下社の宝殿を移築したものらしいのです。
普段間近見ることのできない宝殿ということでじっくり見させて頂きました。
まぁ完全に同じものということではないでしょうけど。
こちらには諏訪七木が一、橡湛がありました。
囲まれているのは現在の御神木でしょうか。そしてその隣には…これが橡木の切り株とは断言できませんけど。
何時の時代のものかは分かりませんが、拝殿内には橡木の一部が保存されているそうです。
とても珍しいですね。大抵破棄や土に返すものなんですけど。ここの氏子さんたちは素晴らしいご先祖様をお持ちのようです。
拝殿へは常には入れない&奥が見えないようになっているので、見るには御狩神事の時に来る必要があるでしょう。
★駐車情報★
こちらは中学校の隣に位置しています。
田舎者の考えですと、中学校の駐車場をちょっと間借りしてもいいのではと、思ってしまいますがどうでしょう…。
私は最寄のコンビニに車を停めて歩きました。歩いて5分くらいですかね。
関係ないですが八ヶ岳方向をパシャリ。見事な景色です。建物ないねー。
山の民である私は平地に憧れてたりします。(どうでもいい
ここの住民も山の民でしょうけどねw
七社明神社 千草(檜)湛
次は七社明神社(シチシャミョウジンジャ)です。道路に面して鳥居があったので今回は迷いませんでしたよw
隣にあるのは歯医者さんです。
★駐車情報★
ここでは写真右側にあるスペースを駐車場としてお借りしました。
こちらの御祭神は…不明ですorz
案内板はあるんですが、建築様式についてしか書いてなく…。
糸魚川市に同じ名前の神社があり、そこの御祭神は奴奈川姫命らしいのです。
ですからここも奴奈川姫命ではないかとは思うのですが…。
御本殿は保存のためか、囲われているため直接見ることはできません。
駐車場の所から屋根がちょっと見れます。
ここには写真の標にあるとおり、千草湛がありました。
湛木跡付近にあった祠。ここにあったのかな?
…にしても荒れてますね。境内にはこういう小さな祠が沢山ありました。
天白社 櫻湛
次に訪れたのは、天白社です。けっこう高台にあります。
最初見つけられなくて、隣にあった墓地の中を30分ほど彷徨ってしまいましたw
★駐車情報★
ここでは路駐させてもらいました。墓地を利用している方もされてましたし、禁止標識もなかったので。
ここには櫻湛がありました。この切り株がその櫻なのでしょうかねぇ。
そして祠の所に生えているのが当代の櫻湛?
矢作社
次に向かったのは、櫻湛と関連深い矢作社です。
なんて細い道…車に傷が付くー(つд`)
★駐車情報★
これ以上行っても車を止めることができるか怪しかったので、途中にあったスペースをお借りしました。
でもこのスペースがいつも空いているのか分かりませんので
どこか別の場所で駐車し、ここまで歩いてくることをオススメします。
…どこに停めるんだよって話になってしまいますが(^^;
軽自動車なら神社前まで行けそうなんですけどね…。
まさに鎮守様って感じです。電柱が邪魔すぎますが…!
ちなみにこの神社は、正確には矢作社と武田八幡社が合祀されています。
主祭神は大己貴命と倉稲魂命です。
櫻湛とどのような関係があるかと言いますと、由来書きにはこうあります。
『「上社物忌令」には「昼湛えの神」として諏訪七木の一である
粟沢の桜湛えの木の許で神事が行われていた事が記載され』
(一部抜粋)
つまりこの神社が櫻湛の神事を執り行っていたと言うことですね。多分。
昼湛えの神ということは、昼と夜に行う神事があったのかな?
それとも始めと終わりを意味するとか…。詳細が気になります。
境内にあった謎の石。下に何かいるとか…ひい。
そんなわけないですね。何の謂れがあるんでしょう。
御座石神社 御座石
次に訪れたのがこちら、御座石神社です。
見てお分かりの通り、こちらには諏訪七石が一、御座石があります。
御座石神社には御柱がありません。かわりに御柱年に鳥居を建て替えるそうです。
御祭神は高志沼河姫命です。
上の写真の囲いの中にあるのがこの石。
御祭神の高志沼河姫命が越後から諏訪へ来る途中、この石の上に腰を下ろし休憩したそうです。
真ん中付近の穴は、その時乗っていた鹿の足跡だそうな。
なのでこの石が御座石…なのだとは思います。
でも…越後から諏訪に来たのに何故この場所で休憩?位置的におかしいと思うんですが。
と思ったら、どうやら大門峠(白樺湖付近)を越えて来たらしいです。
遠回りな気がしますけどねぇ…。
あー街道とかあのころにはないのか、なるほど。水○黄門ばかり見てるから勘違い♪(←
そもそも上社物忌令には、御座石は上社内にあると記載されています。
しかし現在ではその存在が確認されておりません。
由緒書によりますと、この地は高志沼河姫命の住居があったとされ、もともとは御座所宮と呼ばれていたそうです。
それがいつしか御座石に変わった…って、えーw
私的に一番有力なのは、神居説だと思います。
本宮の拝殿奥にある神居の中にあるとする説です。勿論中には入れないわけですけど。
境内にある酒蔵です。この神社ではどぶろく祭が有名らしいですよ。
★駐車情報★
こちらの神社、結構大きめなわりにはちゃんとした駐車場はありませんでした。
道路を挟んで向かい側に川が流れており、川沿いにスペースがあるのでそこに駐車します。
んーここでは謎が残ってしまったので、もう一回行きたいかな。
目の前にバス停があったので車がなくても行けるでしょうし。
千野川社 亀石
亀石があった場所、千野川社です。
関係ないですけどこの写真…一瞬騙し絵かと思いましたw
左の杉と鳥居がね…。
鳥居から山肌を登った所にあるこちらが千野川社、またの名を亀石大明神といいます。
その昔、ここに亀石があったのですが、傍を流れる宮川が氾濫した際に、流されてしまったそうです。
高島城に亀石とされる石があるそうですが、怪しいこと限りなしです…。
ですので今回高島城には訪れていませんのであしからず。
決して忘れてたわけじゃ!(←
この川が氾濫して石が流された…今となっては整備されて穏やかなものです。
水量も少なくなっているんでしょうね。
ところで千野川社なのに宮川とはこれいかに。
千野はもちろん茅野の元となった言葉。この辺りは昔、千野氏が治めていたのでそこは分かるのですが…。
この川は後述の大祝屋敷のお堀に引き込まれていました。ここから宮の川、宮川となったのでは、と考えられますね。
よき景色…天気にも恵まれてよかったです。
昨日の雨とは大違いでありますよ。
★駐車情報★
写真に私の車も写っていますが、ここでの駐車場所は、農道に路上駐車です。
私が訪れた時は稲刈りも終わり閑散としていましたが、
行く時期によっては繁盛しているかもしれません、ご注意をば。
柳湛
ここが柳湛跡…ではありません。写真に写っているのは石田祝神社といい、
石田さんの氏神様をお祀りしている神社です。
では何故この神社を掲載するかと言うと…この付近に柳湛があったとされているからです。
しかし柳湛跡とされる場所は、神社の背後にありますショッピングセンターが上に建ってしまった為、
こんな感じになっちゃったわけですね。
でもまぁ、柳湛に関しては推測地にすぎず、七木の中で一番不確かな部分です。
また新しい情報が手に入れば訪れるでしょう。
★駐車情報★
駐車の際には、ショッピングセンターの駐車場を間借りするとよろしいかと。できればお買い物もw
峯湛
現在の七木の中で最も大きい、峯湛です。
…というかちゃんと当代でも認識されている七木はここだけかな?
前宮の神事の前に、まずこの峯湛で神事を行ってから前宮へ向かったそうです。
前宮にとって重要な場所なんですね。
ちなみに付近からは古墳も見つかっています。
しかし大変立派な木です。木の種類はイヌザクラで、樹齢は約200年だそうです。
天に向かって広がるように伸びる太い枝は見る者を圧倒します。
1988年の大雪によって北側の大枝(上写真の右側の幹下部)が折れてしまったのが残念。
ちなみにネットでその時の写真を見ることができますよ。見ると悲しくなりますけど。
★駐車情報★
この峯湛は前宮公園から行くことができます。行く際にはまず前宮公園を目的地としてください。
入り口前にスペースがあるのでそこに駐車します。(というか駐車場?)
公園は高台にあり、そこまでの道はそれなりに勾配のある細い道なのでご注意。
小袋石
その圧倒的存在感に思わず息を呑みました…七石が一、小袋石です。
こんな山の斜面に大石…しかも1つだけ。これは現代人だって特別視しますよ。
この写真では大きさが伝わらないかもしれませんが、比較用に携帯を写真中央付近に置いています。
ちょっと光ってる長方形の物体なんですが…分かりづらいですねw
昔は神事を行う建物等があったそうですが…石の付近には見当たらず。
もうないのか、私が見落としただけなのか…。
先ほどの写真は斜面の下から、こちらは斜面の斜め上から撮影したものです。
小袋石は別名「舟つなぎ石」と言われ、その昔は諏訪湖の水がこの石の高さまであり、
この石に舟を繋ぎ止めていたといわれています。
こちらの角度から見ると形が随分違って見えますね。かなり鋭利に…。
元からこの形だったのか、自生した木の根で割られてこんな鋭利な断面になったのか。
石の下をわずかですが水が流れていました。しかし土が大分えぐられています。
これ、なんとかしないと石が転がっていっちゃうんじゃ…(´д`;)
★駐車情報★
小袋石へは、先ほどの前宮公園から更に上へ行ったところにあります。
(前宮公園に接する道からはではなく、本宮側へずれた道から上ります。)
駐車は路上駐車で問題ないでしょう。斎場しかないので車もほぼ通りません。
ロータリー式になっている場所で停めると宜しいかと。坂道駐車なのでそこだけ注意です。(駐車する時にね
諏訪大社上社本宮 御沓石
参りました、本宮です。拝殿を掲載してなかったのでここで掲載。その奥が神居です…入ってみたいよ。
これが御沓石です。御柱一之柱の裏手にあります。
建御名方神が乗る神馬の足跡が残っているそうです…が、苔で全然見えませんね。
立て札とかは何も立っていませんので、案内図に描いてあることに気付かなければ
一の御柱の存在に隠れてしまうでしょう。
かくいう私も、初めてここを訪れた際に注連縄を見つけてなんだろうと思い、
御沓石という名前は分かったもののどういうものか全く分かりませんでした…。
同社 蛙石
西参道脇にある蓮池です。ここに蛙石がるという噂(説?)があり、撮影。
どれかなー…うーん…これしか石なんてないなぁ。
蛙…には見えませんし、御沓石のように注連縄もありません。
やはりこれは蛙石ではないのでしょうか。
蛙石の場所については諸説あります。その一つが上記の蓮池内にあるという説。
参拝してすぐに、先日改装されて綺麗になったばかりの宝物殿へ入ったのですが、
そこに展示されている古地図(確か天正の地図)には硯石や御沓石が記載されていました。
それと同様に蓮池と思われる池の中にも石が記載されており、これはもしや…?
と思ったのですが、実際見てみて、やはり違ったか、という感じです。
宝物殿内は勿論、撮影は厳禁であり、地図の詳細を覚えていないので見間違いかもですが…。
というわけでみなさん宝物殿は必見ですよ!(←
あ…展示品がいつも同じかは分からないです…。
蛙石の場所、説その二。
本宮より北西に、大熊という地域があります。そこに蛙石があるとする説です。
その昔、高島城が築城される折、城の庭に置こうとして運んでいたのですが、
どうしても石が動かなくなったのでそこに配置しました。それが今に至ります。
そして私が最も有力だと考えている、説その三。
それは、本宮の神居の中にあるとする説です。御座石の所でも書きましたね。
本宮にあるとされているにも拘らず見当たらない場合は、もう神居に託すしかないのです…。
催し物の最中だったらしく、菊を始めとした花が展示されていました。
花が香る中眺めていましたが、よく分からなかったです(←
目処梃子です。神奈子様のスペルにもありますね。
本来ならば初回の時に掲載すべきものなのですが…あの時はただただ筒粥神事が見たかっただけでしたからねぇw
ヘタレシューターなのでスペルもよく分かってませんでしたし…。
こちらこそ本来なら初回に掲載すべき、上社の筒粥殿跡です。
ハード以上のスペルになるとこちらが元ネタになります。
あの頃はスペルがよく分からn(ry
同社 硯石
諏訪七石だけでなく、諏訪信仰において最も崇敬に値するとされている硯石です。
硯のようにくぼんでいて、そこには常に水が湛えられているそうです。
水が湛えられているのですから、湛え神事にうってつけです。最も崇敬されているのも頷ける気がします。
うーん…本当に水が溜まってるのかなぁ?
頑張って上から覗こうとしたのですが…草木によって邪魔されてしまいます。
上の写真は硯石が若干見える…と思って撮ったものですが、どうも違う気がする…。
さて…ここで16時近くとなってしまい、今日中に七石七木を回るのは無理と判断。急がずに明日へとまわすことにしました。
まったりとうろついていますと…神社関係者とお話しすることができました!
私みたいな前髪で目が隠れてる不審者と話してくださって有難う御座います。(つ∀`)
で…会話の内容をここで掲載しようかと思ったのですが…許可を得ていないので書いて良いものか…。
話して下さったということは、口外しても大丈夫ということなのかなぁ…。
セーフっぽいものは書きます、アウトっぽいものは控えます。独断ですが!><
硯石の上にはちゃんと水が湛えられているそうです!いきなり謎解決!w
その水が天流水舎の水、という謂れもあるそうです。私は知らなかったのですがこれって常識…?
こんなところですかね…あとはアウアウです。というかあんまり憶えてない(ぇー
まぁ強いて言うならば…今後長野日報さんの刊行物に注目かも?媒体は紙か動画かは分かりませんが。
ところで…初回において拝殿が前宮の方向いてるんじゃね?みたいなことを書きましたが、どうやら違ったようで。
神居には神仏習合の時代、弘法大師が建てたとされる多法塔なるものがあり、
それを信仰対象にしたため、拝殿がそちらの方向へ建てられたそうです。
廃仏毀釈の折、撤去されてしまったので現在は存在しないそうですが…。
習焼神社摂社 流鏑馬社 真弓(檀)湛
本宮から北西へ行った所にある湖南地区、そこにある習焼神社。主祭神は洲羽若彦命、建御名方命の第三御子です。
古くは野焼や野明と呼ばれていたそうですが、何故習焼となったのか不明だそうです。
こちらの神社では春に草餅のお祭りがあるそうです。草餅…久しく食べてないなぁ…。
道路沿いにあるので私も度々目にしてきた神社ですが、七木に関しているとは思いませんでしたね。
★駐車情報★
習焼神社には駐車場がありますので、普通車であれば問題なく駐車することができます。
こちらが七木が一、真弓湛のある流鏑馬社です。場所が若干分かりづらいですが、
習焼神社の前にある個人商店から道路を挟んだ所にある細い道を辿り、分かれ道で左側へ行った所にあります。
祭神は伊豆速雄神、建御名方命の第二御子です。弟は洲羽(すわ)なのにこちらは伊豆…何ででしょ?
真弓湛は流鏑馬社前の田の中にあったとされているそうです。田っていうか畑?
そもそも前ってこっちで合っているんだろうか…。
習焼神社の草餅祭りと同日に、こちらでも神事が行われますが、こちらの神事の方が重要みたいです。さすが湛。
で…帰ってから知ったのですが、真弓湛にも別の説が存在するらしいのです。
今回訪れたのは湖南の南真志野という所ですが、北真志野にあるとする説…次回訪れるとしましょう。
兒玉石神社 兒玉石
兒玉石神社です。児玉石や小玉石とも書きますね。
御祭神は兒玉彦命、建御名方命の孫神にあたります。
★駐車情報★
かなり分かり辛い場所にありますので地図が必須かと思われます。
また、神社前の道路は普通車でもきついと思われるほど細い道なので、別の場所に駐車してから歩いてくることをオススメ。
社名のとおり、こちらには兒玉石があります。が、大石が5つもあります…。(一つ隠れて見えません)
多分これ5つで兒玉石っていうことなんでしょうけど…。五玉石?なわけないかー。
由緒書きには「神が諏訪湖より袖を濡らさずに大石を取り上げ、中には大石が二つあった(要約)」とあります。
じゃあ二つ、あっても三つなのでは…。割れちゃった、とかなのかな?
社殿の中に神社本庁からの任命状が飾ってあり、そこには
「手長神社と児玉石神社の宮司を兼ねて任命します」
みたいなことが書いてありました。もしかしたらここの御朱印ももらえるかも…?
ここで日暮れとなり、残りは明日へ引継ぎです。
ですが…2日に分けるよりもここで七石七木纏めた方が見やすいと思うので、3日目分もここに掲載したいと思います。
それでは時間軸を超越!
大祝屋敷 松木湛
まずは近くにあって目印ともなる大祝屋敷(神殿)です。
といいましても、現在ではかなり規模が縮小してまして、総門くらいしか見るものがありませんが。
初回でも若干触れましたが、生き神とされ崇められていた大祝という存在。その大祝が住んでいた所を神殿と呼ぶのですが、
天正年間、時の大祝の諏方頼廣がここ宮田渡に邸宅を移しました。
詳しい理由は分かりませんが…織田信長の侵攻によって前宮が焼失したりしたからでしょうか。
★駐車情報★
総門前に大祝屋敷来訪者用の駐車するスペースがありますので車はそこに駐車します。
松木湛があったとされる説その一がこの場所です。大祝屋敷は写真向かって右側にあります。
この写真の範囲内にあったと思われますが、面影はなにもありません。
何かありましたよ。見辛いですが東照宮跡と書いてあります。何のことやら分かりませんが…。
帰ってから調べた所、日光東照宮を始めとする、徳川家康を祀っていた東照宮があった場所ではないかと。
ってか神殿の隣に建てるとかねぇw
…もしかして東照宮を建てる時に整備して湛跡とか全部壊したんじゃ…。
敷地内にある倉です。諏訪梶の神紋がちゃんとありますね。
中に何かあるのかは分かりませんが、博物館等に展示されているのではないでしょうか。
諏訪家の血筋は最近断絶してしまったので、多分所有権は市に移ったと思われます。
こちらは大祝屋敷から徒歩3分程度の所にある…確かT字路。
現在はゴミステーションになっているこの場所に、昔松木湛があったという説があります。(真弓湛えという説も…。)
大祝屋敷からそんなに離れていないため、枯れて世代交代したり移植したりあったかもしれません。
なのでどちらの説も正しい可能性が高いですね。
道祖神があるのもその名残…?まぁ違うでしょうけどw
しかしあの後ろにある半鐘のはしごは上れるのかなぁ…ただ地面に刺しているようにしか見えない…。
タンクから湯気が出ていたのでなんだろうと思ったら温泉でした。硫黄の臭いがしなかった。
垂れ流しのお湯でかじかんだ手を温めてここを後にしました。
ん…温泉があるということは、昔の人にとって特別な場所だったに違いない。こっちが初代湛かも。
はい、これで諏訪七石七木と思われるものが揃いました。
軽くネットで調べた程度ですのでかなり曖昧ですが…。
諏訪七石七木については今後も要調査ということで、調べ続けたいと思います。
さて、2日目も終わり、ネカフェ行く前にゲーセンで時間潰し。
鏡○リンのEXフィギュア取ろうと頑張ったけど全然取れなくて涙目。
素泊まりホテル程度のお金消えたじゃんかーヽ(`д´)ノ
3日目へ