1日目
今回は夜行バスで出発、京都駅へ向かいます。
京都駅で、いつもお世話になっているスルっとKANSAIを購入して出発。
貴船神社
まずは貴船神社へ向かうため、貴船口駅まで。
早朝のこの時間はバスが運行していない為、ここからは徒歩で神社へ向かいます。
朝日を浴びながら川沿いを歩くのは気持ち良いですねー。ちょっと寒いけど。
蛍石というらしいです。
和泉式部で有名らしいですが、私にはなんのことやら…。
貴船神社です。徒歩30〜40分程度で着きます。
祭神は高龗神、水神様ですね。古くは木船とも書いたらしいです。
磐船との区別なんでしょうか…関係ないかなw
また、黄色い船で川を上ってきたことから「黄船」となったという説もあるらしいです。
こちらが拝殿。なんかキレイですね…最近建てたんでしょうか。
日照りの際には黒い馬を、長雨の際には白い馬を献じて祈ったそうです。
なので後世には馬の変わりに絵馬を奉じた為、絵馬発祥の地…と立て札には書いてありますがw
御神木の桂です。
すごいですね…どうやったらこんな風に育つんでしょうか。
それともこういう種類なんですかね。
御神水です。書いてある通り、占いに使うんでしょうか。
こちらが奥宮です。
元々はここに貴船神社がありましたが、洪水で社殿が流出した際に、現在の位置に社殿を建てたそうです。
あれ…なんか嫌な物が目に入ったような気が…。
うわああああああああ
なんてタイミングの悪い…ま、まぁ(多分)神楽殿だけだったのは幸いとしましょう…。
奥宮の本殿です。本殿の下には巨大な穴があるらしいです。
見ることは出来ませんが気になりますね…調査とかされないのかな。
丑の刻参りで有名な宇治の橋姫さんは、ここで7日間呪詛を唱え続けたわけですね。パルパルと。
ちなみに丑の刻参りとは本来、ただ単に人を呪う為のものではありませんでした。
貴船の神は「丑の年丑の月丑の日丑の刻」に降臨されたと言われており、
その縁にあやかり、丑の日(の丑の刻)にお参りすれば願いが叶うとされていたのです。
うーん夜中に降臨したのかぁ…。
これが船形石です。
玉依姫が船で川を上り、ここに祠で水神を祀ったのが起源とされていますが、
その際に使用された船の周囲に石を積み、人目に触れないようにしたといわれています。
しかし何しにこんなところまで船で来たんだろう。
当然のことながら石の隙間から船は見えず。そもそも船があるのかも怪しいですがw
写真の部分だけ窪んでいるのも気になります。何故こんな形に…?
本社と奥宮の間にある中社の御神木です。
本社の御神木よりこっちの方がすごいです。
ご親睦の隣辺りにある、天の磐船です。
まぁこの石は平成八年に奉納されたらしいですけど。
写真にはありませんが(そもそも禁足地ですが)、
本社の真上の貴船山には古代祭祀の跡や石座があるそうです。
神社の創建以前から信仰があったのかもしれませんね。
この後、川沿いに来た道を戻り、途中にある鞍馬山西門から鞍馬寺に向かいます。
鞍馬山 鞍馬寺
この辺りは岩盤固い為、木は根を地中に下ろすことが出来ず、
地面を這うように根を張り巡らせてしまいます。そしてこのようになるわけですね。
うわあなにこれ。きもちわるっ!っていうかどうなってるのこれ…。この一帯の大体の木がこんなことに。
なんかこの山に入ってから変な声が聞こえたりしてすごい怖かったです。
「天狗の仕業じゃぁ!」とか叫んで虚勢を張ってましたけど、ホントに何かいるのかも…。
緑色なのはコケではなく、石の色らしいです。緑色岩(ハイアロクラスタイト)と言うそうな。
グリーンアイド!
奥の院
魔王殿です。650万年前に金星から来た護法魔王尊が奉られています。
えーと…一応、仏?なのかな…?流石の師匠も反応に困っていました。
金星から来たとか言われると、私にはキ○グギ○ラしか思い浮かばないんですがwww
はっ!もしやこいつがラヴォs(ry
この辺りで、牛若丸と鞍馬天狗が修行を行っていたそうです。
鞍馬天狗とは大天狗だそうで、文ちゃんとは別物です。残念。
義経がこの山を下りる際に、背を比べた石だそうです。
小さいです、確か腰くらいしかなかったような…。
本殿金堂です。
手前の円形中心部の三角は気が集まる場所とされ、TVでも紹介される有名なパワースポットです。
というわけで私も立ってみたのですが…何にも感じませんでしたw
というわけで逆周りなので最後に仁王門から出て終了。
朝早く行ったせいか、西門にいるはずの人がいなかったので、出口で入山料を払いました。
さて、この鞍馬寺の創建には二通りの説があります。
一つは、796年に造東寺長官の藤原伊勢人が毘沙門天と千手観音を安置した説。
もう一つは、770年に鑑真の高弟(優れた弟子のこと)の鑑禎が毘沙門天を奉って草庵を結び、
その後藤原伊勢人によって伽藍が造営されたとする説。
前者は今昔物語集等の諸書に見られますが、後者は鞍馬寺の縁起にのみ見られます。
ですので日本史的には前者が有力…なんでしょうが、私は後者な気がしますねぇ。
だって今昔物語って結構時間経ってるし、藤原氏が関わってるし…w
石清水八幡宮
続いて石清水八幡宮にやって参りました。
写真にも写っていますが、平成の大修造が行われています。「もっと熱くなれよ!」の人ではないです。
それに伴って特別拝観が行われており、これが目的。
一の鳥居の写真を先に掲載しましたが、我々はケーブルカーで山頂まで上りました。
一の鳥居は帰りに撮影した物です。
桜が咲いててキレイですね。この先行く各所でも咲いててほしいものです。
これは楼門なんですが、なんか神社っぽくないですねw
どうも私は楼門とか楼閣は作りに違和感を感じてしまうんですねー。いい建物とは思いますけどね?
にしても見事な朱塗り…これはもう修復済みですね多分。
こちらが仮本殿の若宮社です。普段は仁徳天皇を祀っているのですが…今って相殿なんでしょうか。
御祭神は、応神天皇、比淘蜷_(宗像三神)、神功皇后です。合わせて八幡大神と称するようです。
八幡神社の総本宮である宇佐神神宮と同じですね。(宇佐では八幡大神ではなく八幡三神ですが)
というか、宇佐神宮からこちらに移ってきたという感じの創建なので、基本的に同じなのですw
さあメインの特別拝観です。中は勿論撮影禁止なので、あやふやな記憶をば。
拝観では8つの御神宝が回廊内(上で掲載した楼門の内部)の本殿前で展示され、
本殿の周りを一周して本殿を眺めることが出来るようになっていました。
御神宝の中に三振りの太刀があり、三神に一振りずつ納められています。
拝観では、3期間に分けて一振りずつ公開されており、私が訪れた時は2期目の最終前日。
公開されていたのは、比淘蜷_に納められている「須賀利御太刀(すがりのおんたち)」。
太刀の記憶は全くないです(←
や、見たという記憶はあるんですけどね…画像が出てこないw
18世紀前半という意外と新しい事実に若干萎えたというのは否めない。
一振りずつ公開するのは、普段は光の入らない本殿内に納められている為、
長時間外に出しておくのは避けたいからだそうで。
300年ぶりの公開だと言うから仕方ないのかもしれません。…300年?作られた時期じゃないですかw
御神宝を見た後、本殿の周りを見学。色鮮やかな装飾が綺麗でした。
本殿の扉が開いており、そこから暗い本殿内部の奥にある三つの扉が見えました。
普段その中に御神体があるんでしょうかねー。
橋姫神社
本日最後は橋姫神社です。祭神は瀬織津比唐ナ、橋の守り神として祀られています。
元々は歌などにも用いられる清らかな女神だったのですが、
宇治の橋姫が丑の刻参りで呪いを行ったと言う説話が世に広まることとなり、祭神と同一視され、
今では縁切りのご利益があるとまで言われています。
橋は岸と岸を繋いでいるから縁結びっていうイメージなんですけどねぇw
パルスィは楽しそうな人を見ると嫉妬して邪魔したくなるそうで、
この神社の前を恋人が通ることはいけないそうです。パルパルと呪詛が聞こえたら要注意ですね。
上で本日最後と言いましたが、この後師匠の希望があり伏見稲荷へ。でも写真はないよ。
参拝後、ネカフェナイトパックまで時間があったのでどうしようか悩んでいたところ、
師匠が「明石焼食べに行ってみない?」との意見を打ち出してきたので急遽明石へ向かいました。
師匠が以前に行ったことがあるそうなので付いていったところ…閉まっていましたとさ☆
そりゃ9時過ぎに行けば閉まってるでしょうよ…でも残念でした。
大阪なんばのネカフェで一泊。これにて1日目は終了。