2日目
朝一で前宮です、それが私のジャスティス!
この写真は前宮の左後方付近にあるものですが…どうやらこれは八坂刀売命の御神陵であるという。
そもそも前宮は古代の大祝達の墓、つまりは王家の谷のようなものであると地元には言い伝えられているそうです。
発掘調査なんてされてませんから真否は不明ですが…。
ってかその横にあるこれはなに?前来た時はこんな物は無かったよ…?
一体何のためにこんな物を作ったんでしょう^^;
前宮の社務所にはこんなものが。御柱祭は来年なんですけどね…もう売っているんでしょうかw
駐車場に戻ったら隣に痛車が!初めて見た私はちょっと興奮。
諏訪子にハァハァしてると、所有者の方が戻ってこられたので話しかけてみました。
…今思うと、チキンな私がよく声をかけたなぁと思います。旅行するようになってから社交性が出てきたような気がするw
所有者の「ヒロシ」さんと意気投合し、前宮と本宮を一緒に回りました。
今日は岡谷で同人イベント「御社宮司祭」があるそうで、それに参加しに来たとのこと。
私も行ってみようか迷いましたが、例大祭4以降気後れしていたので今回はご遠慮。後で話を聞いて、行けばよかったと後悔…w
ヒロシさんとは今後もいろんな所でお世話になりますが、それまた別のお話…。
八剣神社
八剣神社にやって参りました。そういえば前回来たのも秋でしたね。
色鮮やかな境内ですね。ご覧の通り御柱は全て撤去されていました。
社務所?では氏子さんが集まって注連縄のような物を作っていました。御柱にでも使うんでしょうか。
諏訪市博物館
面白い企画展をやっていたので、諏訪市博物館にやってきました。
するとその横ではなにやら作業をしてます。あれはどうみても御柱ですねぇ。
全国的にも有名になりつつある御柱祭、観光客のためにいろいろしてるんですね。
さて、企画展の内容ですが、「諏訪の縁起と祭礼(縁起編)」というものです。
勿論なかは撮影禁止ですので、簡単に内容を紹介します。
現在、諏訪大社の縁起を伝える物として「諏訪大明神絵詞」というものが残っています。
これは室町時代初期に作られた絵巻であり、当時の諏訪大社の様子を知る貴重な資料となっています。
実はそれ以前にも「諏訪社祭絵」というものが作られていたそうですが、室町時代には既に失われていたそうです。
多分鎌倉時代末期のゴタゴタで失われたんでしょうね…特に当時の諏訪家当主(大祝かは不明)が起こした中先代の乱とか。
戦乱に敗れ、衰退する諏訪家を再興するために諏訪円忠が諏訪大明神絵詞を編纂したわけです。
残念ながら諏訪大明神絵詞も原本は所在不明で、現在は絵が無い文章のみの写本が残っているだけですが。
この企画展では、諏訪大明神絵詞の簡単な解説が主でした。
・持統天皇が風の神として崇敬していた
・桓武天皇の時代に遷宮(御柱祭)が定められた
・坂上田村麻呂が諏訪明神に対し、殺生を好む理由を問いかける逸話
等等。他には諏訪大社上社古図もありました…これの資料欲しいなぁ、売ってないかなぁ。
鍵引石(女神湖)
霧で何も見えねーっ!
というわけで、次なる目的地女神湖へやってきました。
正確に言うと、女神湖の傍にある鍵引石という物を見に来たわけです。
何故このようなものを見に来たかというと…河童に関わりのある石だからです。
そう、河童+鍵=お値段以上、にとりですね。
この石の存在を知ったのは、前回の巡礼地である大江山の鬼について調べていた時でした。
グーグル先生に引っかかった妖怪等をまとめていたサイトだったんですが、河童の項目を見つけまして、ついでだからと覗いてみたのです。
するとそこに鍵引石という項目が…もしかしたらにとりが鍵をもっている理由が分かるかも?と興奮気味に閲覧。
しかも石の場所は女神湖、諏訪の近くということで俄然高まる期待!
まぁ解決はしなかったんですけどね。全くの偶然ではあるんですが、諏訪に近いということで実際に行ってみようと。
道端にぴょこんと飛び出ている石、これが鍵引石。なんと5、6世紀の古代祭祀遺跡でした。びっくり。
付近からは多数の勾玉や管玉が発見されており、この峠を通行する旅人が峠の神に旅の安全を祈って捧げたと考えられています。
しかしこの埋もれ方は元々なんでしょうか、それとも道路工事で…後者だったらいつもながら悲しい。
大きさはそれほどでもないのですが、見た目がなんだか珍しいですね。そこから信仰対象となったのでしょうか。
さて、肝心の河童ですが、このような伝承があります。
昔この女神湖は赤沼と呼ばれ、ミズゴケや葦が生い茂る湿原でした。
その赤沼に一匹の河童、「河太郎」が住んでいました。
河太郎は子供に化けて鍵引石の上に座り、通る人に「カギ引きしない?」と指を差し出します。
騙されて手を差し出すと、力の強い河太郎に沼の中に引きずり込まれてしまうのでした。
ある時、諏訪頼遠という力持ちが通りかかると、いつものように河太郎がカギ引きを誘ってきました。
諏訪頼遠は河太郎の噂を聞いていたので、馬に乗ったままで手を出し、河太郎の腕を掴んで一気に馬を走らせました。
そして一里走ったところで河太郎を見てみると、頭の水が乾ききって瀕死の状態になっていました。
諏訪頼遠は、「ここから出て行くか、さもなくば殺してしまうぞ。」と言ったところ、
河太郎は、「命を助けてくれるなら今夜半にここを去ります。」と言うので、許してやることにしました。
翌日戻ってきてみると、沼の水が一滴もなくなっていました。その代わり、和田宿の裏山に大きな池ができ、人はこの池を「夜の間の池」と呼びました。
河太郎はこちらの池に住むようになり、赤沼の葦はこの時から穂を付けなくなったそうです。
結局にとりの鍵の謎は解けずじまい。鍵が紐で引っ張られてる感じだから、関係あるのかなぁと思ったんですけどね。
ちなみに余談ですが、20号線にこんな交差点もあります。こうなると全ての「鍵」に反応しちゃうw
なんと鍵引石にはバス停があります!
ただしここは立科町の町営バスなので、出発地点は山を越えた佐久側の方ですけどね。
立科町って南北に長細くて、一番細いところで東西で56mしかないんだそうです。どうしてこんな形になったんでしょうねw
鍵引石の周囲にはムラサキツメクサが咲いていました。
地元では春に咲く花ですけど、秋にも咲くんですね。やはり高原だからですかね。
というわけで鍵引石でした。
この後御座石神社に用があるのですが、この時点で16時。
ここまで来るのに約1時間かかったので…17時?急がないと日没になってしまう!
徐々に暗くなりつつある霧の中を走り抜ける!
これ…下り怖えええぇぇ!
間に合いませんでした…真っ暗な中で頑張って探した『とある石』。
詳しくは次回、御座石に来た時に説明しましょう。
あとこの写真は全く関係ない石です。ホントに何も見えなくて、なんか違うなぁと思いながらも取った代物なのでw